教える側の人が、教えるべきことを教える前に、教えられる側の人に対して「何か分からないことあります?」って訊くのは、やっぱりおかしいと思うの。
「これが今あなたに教えられるすべてのことです。私から伝えるべきことは他にありません」→「何か分からないことあります?」
という流れなら分かる。
でも、断片的でその場その場のアドリブみたいな教え方をされた後にそんな訊き方をされても、こちらとしてはただただ混乱と困惑の限りを尽くすだけで。
自転車の乗り方を教えるときに、「ペダルを漕いだら走ります。ハンドルを回せば曲がります。他に分からないことは?」とか言わんでしょう。
言うのかな、こういう人たちは。
ブレーキの存在すら知らない人に「とりあえず乗ってみて」なんて言ったら、どこまでも走り続けるか途中で倒れるかどちらかというのは容易に想像がつくはずで。
そりゃあバランスの取り方とかどれくらい漕いだらどれくらい進むかとかは感覚で覚えるしかないけど、自転車の構造くらいは乗る前に教えるのが普通なのでは?
「止まる方法を訊かれなかったから教えなかった」という理屈は通らないと思うんだけどなぁ。
なぜこういうところにコストをかけないのか不思議。
ちゃんとしたトレーニングのシステムやマニュアルを整備して、指示系統もはっきりさせれば、結果的に全体のコストは間違いなく下がるはずなんだけど。
出てくる情報は断片的だし、人によって言うことがバラバラだし、教える担当の人も通常業務をやりながらだから必然的に教育の方が後回しになるし。
「じゃ、こんな感じでやっといて」って言われても、教えられた範囲のことしかできないし考えも及ばないから、とりあえず「はい」と答えるしかないんよね。
で、実際にやってみたら分からないことが次々出てきて、でも周りに誰も居なくなってて、分からないまま時間だけがただ過ぎていくという。
同じレベルの人は同じようなことで分からなくなると思うから、たぶん同じようなことを別々に質問したりしてるはず。
それってかなり無駄じゃないかなぁ。
先にちゃんと教えておけば発生しないコストだと思うんだけども。
雰囲気から察するに、恐らく長年ずっとこのやり方でやってきたんだろうなぁ。
だから誰も何も改善要求をしないし、しても無駄だと諦めてる。
個人のレベルで頑張ってどうにかなる問題じゃない。
システムとか組織としての意識を変えてく必要がある話なんだけど、誰もが見て見ぬふりをしてるのかもね。
教育やトレーニングを個人に任せきりじゃ組織としての成長は見込めないってこと、気付いて欲しいんだけども。