生まれも育ちも神戸。現在地は大阪・中崎町。座右の銘は「愉快」。

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感想とか

映画『FAKE』の感想。

投稿日:2016年6月17日 更新日:

評価:★★★★★

映画館(第七藝術劇場)で鑑賞。
文句なしの傑作。
さすが森達也。ドキュメンタリーの真骨頂を目撃できた。
終わり方も最高。本編は長い長い前振りで、あのラストシーンのためにあると言っても過言じゃない。
いくつかの疑問を散りばめ、最後にはその解答を用意して気持ちよく終わるのかと思わせておいて、それを監督自らがぶち壊す演出。
なぜ『FAKE』というタイトルを付けたのか、森達也監督の意図が最後の最後でようやく分かる。
確かにあれは誰にも言っちゃいけない。

「この映画はラブストーリーのつもりで作った」と森達也監督は言う。
確かにその通りだ。そう言われてみればそういう風にも見える。
でも忘れちゃいけない。この映画のタイトルは『FAKE』。
あのラストシーンを経た後なら尚更。
「どこまで信じれば良いのだろう」と、そんな疑問に駆られる。
すべては森達也監督の思惑通りに事は進んでいる。

「ドキュメンタリーには加害性がある」とも森達也は言う。
これもその通り。
彼は自分が傷付くことはもちろん、人を傷付けることも厭わず、ためらわず、そしてたぶん少しだけ恐れながら、被写体にカメラを向ける。
質問をするときも大きな抑揚を付けることはなく、淡々と、飄々と、聞きたいことや聞くべきことを聞いていく。
ドキュメンタリーには監督のインタビュアーとしての資質も必要とされるんだろうな、と思わされる。
天下のフジテレビや著名なアメリカのオピニオン誌でも引き出せなかった佐村河内守の一面を(それも核心的な部分を)映像として撮影することに成功した。
このたった一つの事実だけでも、この映画が高く評価されるには充分な出来事だろう。
(余談になるけれど、フジテレビのスタッフが悉く森達也監督のことを知らなかったのには驚いた。仮にもメディアの中心的な組織に籍を置く人間として、彼の存在を知らないというのはちょっと信じがたい。だけどこれも一つの事実)

中盤あたりで、佐村河内が他のメディアの取材を受けた後に大きく溜め息を吐いて、森達也をタバコに誘うシーンがある。
「あー、疲れた……。達也さん、タバコいきましょう」
この一連の行動と言葉だけで、佐村河内守と森達也という二人の関係性が読み取れる。
取材のときにはピンと張り詰めていた緊張を、森達也の前で(しかもカメラが回っている中で)フッと解いてしまう。
しかも呼び方は「達也さん」だ。森達也の方も、いつの間にか「守さん」という呼び方に変わっている。
ここで僕は思う。「佐村河内守と森達也の間には何らかの信頼関係が生まれているのだろう」と。
でも次の瞬間、一つの疑問も同時に浮かぶ。「これは果たして「本当の」姿なのだろうか」と。
メディアの取材の後に大きく溜め息を吐いたように、森達也が帰ったその後にもまた溜め息を吐いているのかも知れない。
「達也さん」と心安く呼びかけていたのとは裏腹に、彼についてや撮影について文句や愚痴や不平不満を並べ立てているかも知れない。
そういう姿を想像し、そして僕は思い至った。「こういうことは自分にもあるな」と。
人は誰しも相手によって態度や言葉遣いを変化させる。「使い分ける」と言ったほうが適切かも知れない。
それは演技ではないかも知れないが、いわゆる「本当の」姿ではない。つまり「FAKE」だ。
誰もが嘘を吐いている。誰もがいくつかの「FAKE」を持っている。
それは悪いことではない。生きていく上できっと必要なことなのだ。
ならば、佐村河内守が犯した罪とは?
もちろん無罪放免という訳にはいかないだろうけれど、ここまで袋叩きに遭うほどの罪を彼は犯したのだろうか?
あるいは、その罪を犯したのは彼だけだったのか?
いろんな疑問が次々に湧いてくる。
この映画には答えなど一つも用意されていない。あるのは問いかけと呼びかけだけだ。

一つ注意点があるとすれば、この作品は佐村河内守の映画ではなく、森達也監督の映画である。ということである。
「映画は監督のものなのだから、当たり前だろう」と言われるかも知れない。
でも、僕が言いたいのはそういうことではなく、「あくまで佐村河内守は被写体の一つに過ぎない」ということだ。
つまり、森達也監督が抱えている「言いたいこと」を映画という形にするためにたまたま都合が良かっただけ、ということである。
ここでも「ドキュメンタリーの加害性」は存分に発揮されていて、森達也監督が「言いたいこと」を言うために、佐村河内守は素材として、あるいは媒体として、徹底的に「利用」されている。
それは佐村河内守本人だけではなく、同じく被写体となった家族やフジテレビ局員、取材に来た記者なども含まれている。ひょっとしたら森達也監督自身も。
「ドキュメンタリーとはそういう種類の映画なのだ」ということを、観客は映像を通じて容赦なく突きつけられる。
そしてその呼びかけに対してどう応えるのか、僕らは試されているのだ。

「終わり方をこんな風にちょっと変えるだけで全然違ったものになるんだよ?」
「ドキュメンタリーって怖いでしょ? 映像って、メディアって怖いでしょ?」
そう森達也監督は訴えかけている。
ほくそ笑むとかではなく、どちらかというと切羽詰まった感じで。

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