[Facebook の「ノート」に書いた文章の転載です]
何の予備知識もなく、ほぼ思い付きで行った「竹田信平インスタレーション「アルファ崩壊〜歴史の周縁と記憶のきずあと」」の展示観覧&パフォーマンス観覧&パネルディスカッション参加を終えての感想。
(パネルディスカッションについては事前に少し質問してたけど)
思い付きというより、「行かなきゃいけない」気がしたというか、ね。
気が付いたら電車に飛び乗ってた的なアレですよ。ええ。
(↑本人がよく分かってない)
いや、でもホントに勢いはそんな感じだったし。
結果的には行って良かった、というより、本当に「行くべきだったんだな」という感じが今はしてる。
うまくまとめようとしてもどうせまとまらないので、記憶が新鮮なうちに、思い付くまま箇条書き的に。
(と言いつつ、一部は Twitter で書いたことをそのまま載せたりしてるけど)
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展示
正直な感想としては、「よく分からない」。
というより、どう解釈していいのやら、という感じ。
印象に強く残っているのは、入った瞬間の全景と、紙をクシャッと丸めてガサガサ広げた感触と、映像に映っていたおじいちゃんとおばあちゃんと笑顔。
何を言ってるのかまったく分からなかったけど、やっぱり視覚への情報は印象が強いなぁ、と思った。
あと、自分が「阪神・淡路大震災の記憶を語ってください」と言われたら何と答えるだろう、ということも考えた。
地震が起こったのは既に 17 年前の出来事。
その瞬間、あるいはそれに近い期間のことを語れと言われたら、どうしたって断片的になるし、自分の記憶なのか、後から追加(あるいは上書き)されたものなのか、正直なところ自信が無い部分も多い。
大人数で話せばいろいろと引き出されることもあるだろうけど、多数が「そうそう」と同意しているときに自分だけ違う記憶だったとき、果たして「いや、僕の記憶は違うよ」と言えるかどうか、これも自信が無い。
自分のことではなく、映像で観たり人から聞いたりしただけなのに、あたかも自身の経験であるかのように語ってしまうかも知れない、という恐怖はたぶん感じると思う。
ひょっとしたら、質問者の求めているものをこっちが勝手に探して考えて「こういうのが聞きたいんでしょ」みたいに答えてしまうかも知れない。
それは嘘ではないかも知れないけど、「記録」として正しいかどうかを考えると、正しいとは言えない気がする。
記憶って本当に曖昧。怖い。
パフォーマンス
思っていたよりもガッツリな内容だった。
一つ一つの動きや何かはほとんどアドリブなんだろうけど、含まれている要素(決め事?)が思った以上に多かったなぁ、と。
で、思ったより長かったなぁ、とw。(1 時間以上?)
これも展示と同じく「どう解釈していいのやら」。
それだけ記憶を記録する(何らかの形でとどめておく)ことが難しい、ということもあるんだろうけど、それだけではないだろうし。
赤い糸は何かのメタファーだったのかなぁ。
印象的だったのは、散らばった紙を集めて撒き散らすシーンと、糸電話を使って色んな言語で「もしもし」と言っているシーン。
特に糸電話は今回のパフォーマンスの中でも象徴的なところだと思うのだけど、そう思う理由とかは自分でもまったく分からない。
「何となく」としか言いようがない。
ああやって色んな人が色んな記憶を語り合うことが「歴史」を作っていく、っていうことだったのかなぁ。
最後の方で「いい感じ」の BGM が流れてたけど、あれは要らなかったんじゃないかなぁ……、と思ったり。
それによってエンディング感は出てたし、音楽が無かったら無かったですごいカオスだったかも知れないけど……。
うーん……。
最後のシーンでは何て言ってたんだっけ。
『記憶は私の中にある。歴史はあなたが作る』みたいな感じだったと思うんだけど、思い出せない。
あー、覚えてるうちにメモっときゃ良かった。
※とあるところで正解を見かけたので書いておく。
『my memory is here. you create my history.
私の記憶はここにある。あなたが私の歴史をつくる』
あながち間違ってなかった!
パネルディスカッション
車座(?)になっての、聞き手参加型ディスカッション(←変な日本語)。
パネリストは竹田信平さん、呉夏枝(OH HA-JI)さん、潘逸舟(Han Ishu)さんの3人。
展示のキュレーターのキタムラアラタさんが司会。
竹田さん、呉さんの発言は、ほぼ全て納得。というか、とにかく頷いて聞くしか出来なかった。
ただ、潘さんの発言には、ときどき「ん?」と思うこともあった。
特に「中国の国旗の星の部分をくり抜いて、そこから実際の星を見る」という作品について、「これは私的な作品なので政治性はない」というようなことを言ったときは、本当にビックリした。
そんなこと言ったって、そんな作品を作ったら政治性を帯びるのは分かり切っているのに。
ただ、ディスカッションの後半の発言を聞いてると、潘さんも(当然だけど)分かった上での発言だったことが分かって(僕の誤解が解けて)良かった。
というか何であそこで自分が手を挙げて質問しなかったのか、本当に悔やまれる。
最後の最後でまとまらないことを言うくらいなら、もっと途中で手を挙げとくんだったと今さら思う。
自分から発言するタイミングって本当に難しい。特にああいう大人数(30 人くらい?)に向かって話すとなると、余計なことをいろいろ考えてしまう。
ある程度まとめてから発言しないといけないし、一応最後はパネリストへの質問になってないといけないし……、みたいなことを考えているうちにどんどん進んでいってしまうし。
少人数でガンガン言い合う方が性には合ってるんだろうなぁ……。
明確な質問があるならともかく、考えをまとめながら自ら発言するのって、本当に難しい。
ああいうときって、ムリヤリ当てられた方が気は楽なのかもね……。
最後に僕がした発言。
「記憶と歴史は似ている。非常に曖昧で、常に書き替えられる。受けた教育によっても、その人にとっての歴史は違ってくる。そういう意味では、歴史というのは、社会というかコミュニティというか、そういうものの中で「共有している記憶」と呼べるのではないか」
まとまらないなりに頑張って発言したけど、会の最後としては弱かったかなぁ……。ちょっと反省。
呉さんが頷いてくれてるのが見えて、ちょっと安心しました。ありがとう、呉さん。
その後に潘さんが「歴史には物語性がある(「物語性が必要」だったかも?)」と言っていて、「なるほどなぁ」と思った。
同じ事実でも、視点が違えば、解釈が違えば、歴史の記され方も違ってくる。
ということを帰りの電車の中で考えていて、やっぱり歴史って「揺るぎ難い絶対的な存在」ではなくて「記録されていくもの」なんだなぁ、と改めて思った。
書き手が違えば、当然違う歴史が記される。
新しい事実が出てくれば、それに合わせて歴史も書き替えられていく。
歴史とは「淡々と並べられた事実」ではなくて、それらを繋ぎ合わせる「物語」のことなのかも知れない。
潘さんが「真実」や「フィクション」という言葉を多用して揺らいでいるのは、きっとそういうことも含んでるんだろうな。
例えば、日本各地で災害が起こる度に「ボランティア」と呼ばれる人たちが出てくる。
ある人は「役に立った」「とても助かった」と言うし、別の人は「迷惑だった」「まったく必要なかった」と言う。
それはどちらも真実で、決して嘘ではないし、それぞれ正しい。
ただ、仮にどちらか一方の記憶だけを記録したとすれば、それが「正しい」歴史になっていく。
そして、僕らが当然のように思っている歴史も、ひょっとしたら(というか間違いなく)そういう要素は少なからず含んでるんだろうなぁ、と思う。
国によって教えてる歴史が違う、ってのはその象徴なのかも。
ピーターさんの言っていた「洗脳と教育は同じ」というのにはまったく同意(これも「自分が言いたかった!」と激しく後悔)。
していることは同じで、単なる解釈の問題。
これ(国によって歴史が違うこと)もたぶん国によって必要な物語が違うから起こる問題なんだろうな。
(「国」っていうより「国家」か)
記憶を語るのは、言葉だけじゃない。
むしろ「言葉」そのものには、疑ってかかった方が良い。
声の抑揚や、仕草や、目線の動き方なんかまで含めないと、たぶんその人の「記憶」からは程遠いものになる。
だからといって「言葉だけじゃ無意味」ではなくて、それはそれで貴重な記録なのだけど。
余談
アートについて話すには、やっぱりメタ的(?)な視点は必須。
横断的な知識も要るし、それを繋ぎあわせて咀嚼する能力も要る。
結局ぜんぶ関連してくるしなー。
「頭が良い」とか「賢い」とかとは違うアタマが要るんよね。
今日はそれを再認識。
なんか久しぶりに「アート」について語りたいな。
青臭く「オレはこう思う!」ってのをぶつけあってみたい気分。
そういう話、何年してないんだろ。
今の自分からどんなものが出てくるか試してみたい。
講演会でもセミナーでもそうだけど、何でみんなこういうとき前の方に座らないんだろうね?
でっかいスクリーンの映画館とかならまだしも、小さな部屋でプロジェクターを使うんだから前の方が見やすいに決まってるのに……。
いつでもどこでも後ろから埋まっていく不思議な現象がここでも起こってたのが、ちょっとだけ面白かった。