考えてること・考えたこと

『水曜どうでしょう』の魅力について真剣に考えてみた。

昨日まで開催されていた「どうでしょう祭」の最後に、大泉さんが次のようなことを言った。
「おれたちも頑張るから、お前たちも頑張れ」
それを聞いたとき、ふと思った。
「『水曜どうでしょう』の魅力は、これに尽きるのかも」と。

これほどまでにシンプルで強烈なメッセージが、何の嫌味もなく、上辺だけの薄っぺらい表現にもならず、どっしりとした質量をもって伝わってくる。
それは、『どうでしょう』を観ている僕たちが「彼らも本当に頑張っている」ことを知っているからだ。
いつもいつも必死に面白いものを作ろうとしていることを、僕たちは目撃し続けている。
だから彼らがどんなにバカバカしいことをしても、どんなにファンのことを罵るような言葉を発しても、その奥にある「本当のところ」を感じ取ることができる。

彼らの番組づくりに対する姿勢は、どこまでも真摯で、どこまでも正直で、どこまでも真っ当。
そんな彼らの姿をずっと観てきているから、僕たちは彼らのことを心から信頼する。
決して人を騙そうとしたり、欺こうとしたり、裏切ったりはしない。
その絶対的な信頼感があるから、『どうでしょう』を観るときの僕たちは無防備になる。
身も心も完全にその世界に預けて、すべてを流れに任せることができる。
「解放される」ような気になるのは、きっとそのせいだろう。

「『どうでしょう』を観ると励まされる」という人も多い。
作り手たちは「こんなにバカなことをやってもいいんだ、こんなヤツらも居るんだ、って思えるから」みたいなことを言っているけど、それはたぶん違う。
むしろ逆で、観ている人は「こんなに真っ当な姿勢で生きていてもいいんだ」と感じているんじゃなかろうか。

『どうでしょう』を観て励まされる人たちは、きっと日常生活ではなかなか自信が持てないでいて、いろいろな場面で悩んでいるんじゃないかと思う。
「自分としては正しいと思っていることが、世間では間違っていることとされている」
「こんな考えは単なるお人好しの甘い考えなんだろうか」
「周りのことなど気にかけず、ただ自分勝手に振る舞う方が賢い生き方なのかも知れない」
そう悩んでいるときに『どうでしょう』を観ると、「いや、そうじゃない」と思わせてくれる。
「真っ当に生きることは間違いじゃないんだ」と。

それぞれの役割を果たそうと懸命に協力し合うことで、1 人では絶対に不可能な何かを生み出すことができる。
向かっている方向はバラバラでも、「面白くする」という 1 つの目的を達成するために 4 人がそれぞれに頑張ることで、爆発的な力を作り出すことができる。

画面を通して彼らの旅を追体験することによって、僕たちは彼らが「本当に頑張っている」ことを肌で感じる。
「あぁ、本当に頑張ったんだなぁ」ということを身体的に実感する。
「本当に頑張ってなかったら、作為的な何かがあったら、こんな風にはならないもの」ということを瞬間的に理解する。
だからこそ、僕たちはその時間に身を委ね、笑い転げることができるのだと思う。

『どうでしょう』を観ていれば、この人たちを追いかけていれば、自分は間違った方向へ行くことはないのではないか。
間違った方向へ行きそうになっても、『どうでしょう』が正してくれるのではないか。
僕にはそんな予感めいたものがある。同じようなことを感じている人も、きっとたくさん居るはず。

「どうでしょう祭」を包み込んでいた温かくて優しくて柔らかい空気が、その何よりの証拠だ。
決して利益優先で開催されたイベントではない、ということをあの場に集まった全員が知っている。理解している。確信している。
「『どうでしょう』が好きでたまらない人たちが集まる場を作ってくれた」のだと。
そのことを心から感謝しているからこそ、あの空間が生まれた。

利益のことばかり考えたイベントには、利益のことばかり考える客が集まる。
「払った料金に見合うだけのものを見せてくれるのか? 楽しませてくれるのか?」
対して「どうでしょう祭」には、自分の利益ばかり考えるような人は決して来ない。
集まってくるのは、「この場をみんなで楽しいものにしよう。そうすれば自分も楽しくなる」と考えている人たちだ。
そしてその考え方は、そのまま『どうでしょう』の最も基本的な精神に繋がる。

『どうでしょう』を観ることで、僕たちは「真っ当に生きること」の価値を再認識する。
人が人を心から信頼することの喜びを実感する。
「自分の役割を、自分なりに頑張ろう」と思える。
それがきっと『どうでしょう』の大きな魅力であり、僕たちが『どうでしょう』を追いかけ続ける理由なのだと思う。

-考えてること・考えたこと
-, , ,