怒りは負の感情。
排除するべきもの。
ずっとそう思ってきた。
でも、そうじゃないのかも知れない。
実はとても必要で、大切に扱わないといけないものなのかも知れない。
最近そう思う。
確かに歓迎されるようなものではないし、戸惑いや緊張を強いる存在であることは間違いないけど、重要なのはきっと「フタをすること」じゃなく「きちんと制御すること」なんだろう。
出せるときに(適切な方法で)出すだけ出して、出しちゃいけないときには(可能な限り)出さない。
この出し入れがとっても重要。
何でもかんでもどんな場面でも出してしまうのは良くないけど、何が何でも封じ込めてしまって「出すものなんて何もない」みたいに振る舞ってしまうのもたぶん良くない。
すべての怒りを押し殺しているうちに、自分という輪郭がどんどんぼやけていく。
「どんな理由で」「何に対して」怒っているかなんて、すぐに正確な言葉で表現する必要なんてない。
怒りは感情なんだから。
感情と言葉の相性はそもそも悪い。
もし相性が良いのであれば、詩人がいちいちあんなに悩むこともないだろう。
増して僕らは詩人ですらないのだから、後から少しずつ適切な言葉を見つけていけばいい。
とりあえず「怒りの感情を抱いている」ということを伝えるべき人に伝えられれば、それできっといいのだ。
単発的で表面的な関係なら、怒りを排除した方がたぶんうまくいく。
でも、その関係を続けたり深めたりする場合には、そうはいかない。
それぞれがどこでどのような「怒り」を感じるのかを、お互いに知って(できれば理解して)おくことがとても重要のような気がする。