内田樹さんの本やブログを読んでいると、しばしば「愉快」という言葉が出てくる。
愉快。
僕はなぜかこの言葉を目にしたとき違和感を覚えた。
いろいろ考えたけれどその理由が見当たらず、しばらく放置していた。
が、今日ふと一つの結論に思い至った。
もしかして、ただ単に「忘れていた」だけなのでは?
「愉快」という言葉が僕のアタマから抜け落ちていただけなのでは?
つまり、使い慣れない外国語や専門用語のように、「聞いたことはあるけど、どういう意味だっけ?」という状態になっていたんである。
「愉快」とは、「楽しく気持ちのよいこと」を指す。
楽しいだけではなく、「気持ちいい」のだ。
それは「快」という文字が入っていることからも分かる。
楽しく、気持ちいい。
正直なところ、最近はそんな気分になったことがない。
「なんとなく楽しい」ことはあったような気がする。
しかし「気持ちいい」と感じる瞬間はとんと訪れていない。
言葉というのは残酷なもので、普段から使っていないと容赦なくどこかへ消え去ってしまう。
僕が「愉快」を忘れてしまったように。
たぶん気づいていないだけで、もっとたくさんの言葉を僕は失っているのだろう。
ただ、その逆も有り得るのではないだろうか。
つまり、言葉を登録し直す機会を得ることで、その言葉を再び使う(使える)ようになる。
そんな気がするのである。
都合のいい自分勝手な希望でしかないのかも知れないけれど。
幸いにも僕は「愉快」という言葉を思い出すことができた。
あとはその気分を身体的に思い出すだけなのだ。
どこかにあるはずの着地点を、僕は探し続けている。
そして、その道標になってくれるのは言葉そのものではないかと、ついそんな期待を抱いてしまうのである。