小林賢太郎のソロプロジェクト「ポツネン」の最新作、『ポツネン氏の奇妙で平凡な日々』を観てきた。
会場は大阪・西梅田のサンケイホールブリーゼ。
仕事終わりで開演時間ギリギリに到着した頃には、ほぼほぼ満席だったんじゃないかと思う(だいぶ焦ってたからあんまりちゃんとは見てない)。
この作品は東京で先行上演されて、パリやロンドンでの公演もあって……という説明は他に譲るとして、感想。
正直、物足りなかった。
不満というほどではないけど、「こんなもんなのかー? もっとこないのかー? あー、終わっちゃった」みたいな感じ。
終始舞台との距離を感じていたというか、世界に入り込めなかったというか。
「夢中になれなかった」という表現がより正確かもしれない。
一つ一つの内容は前作までの延長戦上(というかほとんどそのまま)だったし、先の展開はだいたい想像のつくものばかりだったし、全体のストーリーもいよいよ難解を極めてきてるし……。
ブラッシュアップというか、マイナーチェンジというか、焼き直しというか。
新しいことを増やすのではなく、今できることや今までしてきたことをキュッと圧縮して詰め込んだような。
難解な割には子供っぽい感じもして(良い意味でも悪い意味でも)。
というより、子供っぽいから難解、なのかもしれない。
お伽噺のような雰囲気はけっこう前からあったけど、今回はそれとも少し違う。
「空想」や「想像」ではなく、まさしく「夢」のような。
だから話の辻褄が合わなくてもいいし、多少の破綻があっても構わない。
いろいろと練り込まれて作り込まれているのは分かる。
本人の中では相当考え抜いて新しい試みもされてるだろうことも分かる。
小道具や美術やさまざまな細工も含めて、細部へのこだわりは圧巻の一言。
でも、たぶんそこって観客が分かっちゃいけない部分だと思うんよね……。
「あの絵を描くのにどれくらい時間がかかったんだろう」って観客が考えたら、たぶんその絵は与えられた役割を果たしてないことになる訳で。
マンガ的な表現もやや上滑りしている印象。
絵のクオリティは上がる一方だけど、その速度に中身が追い付いていない感じがする。
というか逆に、絵の方に頼り過ぎてるような。
黒子がかなり前面に出てきてることにも違和感(カーテンコールで黒子の中の人が紹介されたのにはかなり驚いた)。
これまで映像にこだわってきたのは「一人だけのパフォーマンスでどこまでできるか」を突き詰めるためだと思っていたのだけど、今回のような黒子の「活躍」が許されるとなると、「別に映像じゃなくてもいいんじゃないか?」という疑問が湧いてくる。
たとえばダンサーを集めたカンパニーを作って今回の映像でしていたような動きを舞台上で再現できたら、それはそれで面白いものができそうな気がするんだけど。
これまでは「ネタ」という感じだったのが、今回は「作品」により近付いた気がする。
近付いたというか、その色が濃くなったというか。
小林さんの姿勢の変化として、「作品を通して観客に何かを伝える」ということから、「作品を作る」ことそのものにより重きが置かれるようになったというか。
これまでが「作品をパフォーマンスする」なら、最近は「パフォーマンスも作品の一部」になってきたような。
これはもちろん僕の解釈なので、まったく違ってるかもしれないし、逆にずっと前からそうだったのかもしれない。
ただ、そのあたりの「根本的な何か」が変わった(変わりつつある)のは確かだと思う。
公式サイトの中で、小林さん自身の言葉で「芸術」と呼んでいることに違和感を覚え、少なからず衝撃を受けたのだけど、今回の公演を観て何となく納得できた部分もある(あんまり喜べない方向の納得だけど)。
芸術に完成はありません。引き続き『ポツネン氏の奇妙で平凡な日々』に磨きをかけてまいります。
KENTARO KOBAYASHI WORKS 小林賢太郎のしごと | message(2015 年 7 月 21 日)
こちらの期待が高くなりすぎてるのかもしれない。
でも、これまでもそんな高いハードルを何回も超えてきただけに今回も期待してたんだけど……。
んー、残念。
やっぱりちょっと不満かな。
最近、小林さんは終演後にたくさんトークをしてくれる。
それはそれで有り難いし、嬉しい。
嬉しいけど、……失礼を承知で言ってしまうと、今回はやや言い訳のように聞こえてしまった。
「ラストシーンの後、「じゃねーよ」という空気に包まれる数秒。それを味わうためにそこまでの時間を汗だくで頑張れる」というようなことを小林さんは言っていた。
これはちょっといただけない。
作品の説明を上演直後に本人がしちゃうのは、ねぇ。
(本心なのか、それとも本当の意図を隠すために分かりやすい言葉で誘導したのか、それは分からないけど)
こういうことは聞きたくなかったかなぁ。
ちょっと寂しい。
分かりにくい作品を作ったんなら、いっそ突き放して「観りゃ分かんだろ」くらいのスタンスで丁度いいんじゃなかろうか。
以前みたいに「本日はありがとうございました。アンケートお願いします」だけ言い残して去っていく方が僕は好きなんだけども。
なんだかんだと言いながら、たぶんこれからも僕は「小林賢太郎」を観続けるんだろうと思う。
それは、「この人を追っかけてればいつかものすごいものが観れるんじゃないか。観せてくれるんじゃないか」という予感めいたものがあるから。
たぶん今回の作品もそこへ向かうための公開実験に過ぎなくて、その場に立ち会えていると考えると実は貴重な体験をしているのかもしれない。
今はまだ「ものすごいもの」が何なのかは分からないし、だからこそモヤモヤとした居心地の悪さみたいなものが残っているのだけど、今回の作品がそれに繋がってることを切に願う。
小林賢太郎は独りよがりに走ったりはしないよね……。
いや、一時的に走るくらいなら全然構わないけど、戻ってきてくれるよね……。
こんなの取り越し苦労よね……。