泣きたいときに泣くことができるのは、しあわせなことだ。
泣きたいときに「わたしはいま、泣きたい」と感じることができるのは、とてもしあわせなことだ。
泣きたいときに泣いて「わたしはいま、泣いている。ということは、わたしは泣きたいと思っていたのか」と後から気付くことができるのは、さらにとてもしあわせなことだ。
泣けないことが悲しいのではない。
泣きたいと思う自分が居ないことが悲しいのだ。
泣きたいと感じている自分を見つけられないことが悲しいのだ。
生まれも育ちも神戸。現在地は大阪・中崎町。座右の銘は「愉快」。