僕はおそらく「許されたい」と思っている。
「許してほしい」じゃない。
「許されたい」だ。
この二つは似ているようで実はかなり違う。
目下のところ最も大きな問題は、いったい誰から許されたいと思っているのか、ということだ。
誰から咎められているのか。
何の罪を犯したのか。
まったく見当も付いていない。
ただ罪悪感だけが確かに静かな重しとなっている。
もし他者への罪でないとすれば、残るは一人しかいない。
そう、自分自身だ。
しかし、自分が自分から許されるとはどういうことなのか。
自分が自分に犯した罪とはいったい何なのか。
それはたぶん僕だけが知っている事柄だろう。
目に見える言動や証拠がない分、人との争いよりよっぽどこちらの方が厄介かも知れない。
自分が自分から許されるということは、自分を自分で許すということだ。
被害を受けた自分から罪を犯した自分が許されるということだ。
これは、どういうことなんだろう。
まったくわからない。